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第2次大戦後スターリンが行った国境変更(領土簒奪)がウクライナ紛争を招いた❓<2025年9月16日

ウクライナ紛争が複雑すぎる理由はスラブ民族の民族間対立や国境問題と、アメリカの東方拡大政策が混じっているからです。アメリカは、どこまで行っても余所者でしかありません。ロシアの側から見るとアメリカがウクライナポーランドを手先にしてロシア圏を侵略しているようにしか見えません。


この土地では過去何回も戦争が起きています。
ロシアから見るとロシアが弱小であった時代にポーランド、フランス、ナチスドイツから侵略されました。「今度は、ダミーを使ったアメリカか❓❓❓」と言う訳です。
余りにも強国時代のロシア帝国のイメージが強いから、ロシアがヨーロッパを侵略すると言う印象がありますが実際にはヨーロッパ側の強国がロシアを侵略した方が多いのです。これが、欧米から見るウクライナ紛争とロシアから見るウクライナ紛争が180度違って見える原因なのかもしれません。

 

そしてロシアを巡る問題はポーランドと関係する場合が多いです。過去にポーランド王国の栄光の時代があります。17世紀の後半までです。18世紀にはいると周辺で勃興した新興勢力が強くなり、ポーランドは分割され事実上、国家を失います。ロシア帝国が勃興した時代です。やや期間を置き第1次大戦後、ポーランドはやっと独立を回復します。しかし、その独立は不安定なものであり第2次大戦で再びナチスドイツとソ連に分割されました。第2次大戦ソ連の傘下の共産主義ポーランドが成立してやっと独立国らしくなりました。旧ソ連崩壊に乗じて「第三共和国」が成立し、これが現在のポーランドです。

 

これがポーランドの極々大雑把な歴史であり、ウクライナは大体ポーランドとロシアに分かれて帰属していました。どちらかと言うとウクライナポーランドに帰属していたドニプロ川西岸地域を指しているケースが多い印象があります。今の地図上のウクライナは、「西ウクライナ」に東と南を加えた地域で当時よりかなり広いエリアです。

そのためウクライナ民族主義は、「西ウクライナ民族主義」か「ガリツィア主義」とでも表記する方が、より明確だろうと思います。ウクライナとだけ言うから今の地図上のウクライナとの誤解が生じます。こう理解しないと西ウクライナと東・南ウクライナとの違いが分かりません。

★尤も「誤解させるために」敢えて西ウクライナと表記していない可能性もありますが。西ウクライナと全然違う東・南ウクライナを同じように見せようとしているのかもしれません。西と東・南は、ほぼ別の国と言って良いと思います。


今のウクライナ民族主義が始まったのは、1900年頃です。最初は独立運動です。この中心地が東ガリツィアです。中でも現在のリビウが中心地と言えます。最初は、ポーランドからの独立を求める民族独立運動でした。ポーランドは独立を回復しましたが東ガリツィア地方の(西)ウクライナ人の独立は無視されたからです。
だからウクライナと言う国は無く、やや漠然とした地域の土地の名前があるだけでした。どこを指すのかは時代により違います。
今のキエフ政府は、ウクライナ民族主義を信奉する過激派の政府と言えます。ウクライナ民族主義は途中でナチスドイツ思想を受け入れて、その思想を色濃く受け継いでいます。ロシアが、キエフ政府をネオナチと呼ぶのは、これが理由です。

 

さらに複雑なのは、ここに領土や国境の度重なる変遷が絡んでくるからです。
ウクライナと言う国家は存在しなかった❓❓❓
では、何故今ウクライナと言う領域が存在するのか❓❓❓→不思議でしょう❓❓❓

ここでやっと第2次大戦後、スターリンが行った東欧諸国からの領土簒奪が出て来ます。主に旧ロシア帝国領が、それ以前のソ連の領土です。ウクライナの概念が混乱するのは、この旧ロシア帝国領まで現在のキエフ政府の領域に混ぜるからです。
スターリンは、東部ポーランド・旧スロバキア領の一部・旧ハンガリー領の一部・旧ルーマニア領の一部などを強奪してソ連領に組み入れました。

下記①【ウクライナのパッチワークキルト。「独立」国家の最も現実的な分割とは?】参照(ロシア語)https://svpressa.ru/politic/article/481670/

 

ウイキペデイアの記述を見ると東部ポーランド領の国境変更は出て来ますがスロバキアハンガリールーマニアは出て来ません。領土問題が出て来るとこの全部の国が関係してきます。日本の北方四島と同時代ですから、それほど古い話ではありません。


こうしてスターリンが強奪した新領土と旧ロシア帝国領のウクライナ部分を、一纏めの行政区画にしたのが旧ソ連時代のウクライナです。
これを、アメリカの支援を受けた西ウクライナ過激民族主義者が、マイダン革命と言う美しい名前の「暴力クーデター」で全部纏めて簒奪して出来たのが、現在のキエフ政府です。暴力クーデターで無理やり作った政権でありウクライナの国内法で見ても合法性や正当性は無いと言えます。だから東部独立派が武装闘争に立ち上がりルガンスク共和国とドネツク共和国を形成して内戦が始まりました。
ミンスク2合意」をキエフ政府が一方的に破棄してルガンスク共和国とドネツク共和国を軍事力で潰そうとしました。後見しているロシアが許せるはずもなくロシアは、軍事介入に踏み切りました。これが、今に続くウクライナ紛争です。


ここまで書いてウクライナ紛争の流れを、歴史的に物凄くごくごく大雑把に書いたと言えます。ウクライナ紛争を2022年2月24日から切り取るのは、それ以前の経緯を誤魔化すためです。出て来るとバイデン・アメリカに都合が悪すぎるからです。

しかし切り取ったところで、それ以前の歴史や経緯(バイデンの悪行)が消えるわけではありません。

ウクライナ紛争に興味を持つ人は、このような歴史的・地理的経緯や、それに続く現在の国際政治の流れを知るべきだと思います。国際政治と言うよりアメリカの仕掛けた非合法の謀略であり工作です。こうしてアメリカの傀儡のキエフ政府が生まれました。

 


★以下、関連資料など、全部読むと頭が痛くなると思いますよ❓❓❓
どこに妥当な落し処があるかなど部外者には複雑すぎて理解不能です❓❓❓

【小ロシア】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2
1667年にヘーチマン国家はドニプロ川を境にしてモスクワとポーランドの間に分割され・・・・・
ウクライナ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A
1649年、現在のウクライナヘーチマン国家が成立
1667年、ロシア・ポーランド戦争の結果ポーランドに割譲されたドニプロ川右岸地域・・・
ドニプロ川左岸地域の1764年にロシアのエカチェリーナ2世がヘーチマン制を廃止、翌1765年に国土はロシアの小ロシア県に編成され、1786年にコサック連隊制が廃止となった。
ウクライナ」はドニプロ川の中流域だけを意味するようになり、17世紀以降はルーシの本土を意味する小ロシア(小ルーシ)という地名の同義語となった。 

★第2次大戦後スターリンが行った国境変更
<ドイツとポーランド
【回復領】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E5%BE%A9%E9%A0%98
カーゾン線】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BE%E3%83%B3%E7%B7%9A
オーデル・ナイセ線】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%BB%E7%B7%9A

スターリンー「国境の男」】
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaiseiji/2010/162/2010_162_24/_pdf/-char/en
ソビエト連邦日本大百科全書ソ連誕生からの歴史)】
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=2192

 

(ロシア語の記事)→ここにスターリンの悪行が詳しく書いてあります・・・
①【ウクライナのパッチワークキルト。「独立」国家の最も現実的な分割とは?】
9月15日 16時55分
https://svpressa.ru/politic/article/481670/
ロシアでは、ウクライナ南東部が伝統的にロシア領とみなされていることが特徴的である。
ドネツク民共和国、リトアニア(ルガンスク)人民共和国、ザポリージャヘルソン州に加え、ハリコフ州、スムィ州、ドネプロペトロフスク州、ニコラエフの一部。

オデッサとその地域の帰属については意見が分かれている。オデッサをロシアの都市とみなす人が圧倒的に多い。

 

政治学者アレクサンダー・ジモフスキー氏の見解
「行政上の境界ではなく、『歴史的空間』という概念から出発すべきだ」
ウクライナの歴史的空間は西側の国境沿いにある。ここでは、ポーランドスロバキアハンガリールーマニアという4つの大きな魅力圏を区別することができる。それぞれが独自の国境、文化内容、そして政治的主張を持っていたのだ。」


スターリンが強奪した)【最も大きな地域は(旧)ポーランド
これは東ガリツィア(現在のリヴィウイヴァーノ=フランキーウシク、テルノーピリ)、ヴォルイニ(ヴォルイニ州とリヴネ州)、ポジーリャ(ヴィーンヌィツャとフメリニツキー州)、そして右岸の大部分(ジトーミル、ヴィーンヌィツャ、そして一部はチェルカースィ州)である。
これらの地域の総面積は約24万5千平方キロメートルで、これは現在のウクライナ領土のほぼ半分に相当します。


ハンガリーの権益】は、現在のザカルパッチャ地方であるトランスカルパティア地方の約1万2千8千平方キロメートルに及びます
スロバキアの領有権】主張は、戦間期チェコスロバキア領内にあったカルパティア・ルーシ領(サブカルパティア・ルーシ)となったトランスカルパティアと重複している可能性がある。
この地域の面積は約1万2000平方キロメートル


【歴史的にルーマニアの領土】と重なってきた。
現在のチェルニウツィー州であるブコヴィナと、オデッサ州およびチェルニウツィー州の一部であるベッサラビア
これらの地域の総面積は約6万2千平方キロメートル

 

 

 

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